俺たちの音 歴史とともに


今朝も曇り空から始まる朝。気温28℃で登校中汗がこぼれてきます。空調が効いた場所から外に移動すると、一気に曇る眼鏡は、湿度の多い土地柄です。

現在は、大暑の時分。時が流れ、時代が変遷しても変わらないもの。

ウニに胡瓜に桐の花。どれも旬のもので、さらに今夏は2度あった土用のウナギなど、一年で最も暑いと言われる大暑の時分は風物詩が目白押しです。

第62回長崎県吹奏楽コンクール

前期課外授業開始前日・7月23日(日曜)、吹奏楽部は第62回長崎県吹奏楽コンクールに参加しました。アルカスSASEBOが会場で開催された同コンクール。

吹奏楽部諸君は、同日午前7時には集合を完了し体育館で練習後、佐世保市へ移動しました。このコンクールを最後に高校3年生は引退します。

「色々あった三年間でしたが、辛いとき、苦しいとき、嬉しかったとき、達成感を得たとき、互いが助け合って互いが成長できました。」

中学から六年間吹奏楽を続けた2名は、「サックスという楽器に魅せられた時間を過ごしました。最後のアンサンブルコンサートでは、部員皆の協力をもらって金賞を獲得でき、本当に嬉しかったです。」高校3年生は、吹奏楽部の主力に全員が立派に成長しました。

中学・高校と合同で活動する吹奏楽部。中学1年生の皆さんには、高校3年生の姿はとてつもなく大きく目に映ったことでしょう。

最後のコンクールに向け、7月放課後は特に何かを感じずにはいられない音色が、放課後学園内には響き渡っていました。

海星・吹奏楽部の歴史

1903(明治36)年ー1911(明治44)年まで、海星学園は『海星商業学校』という時代がありました。

1903年4月27日、中学部を甲種私立商業学校に改めて予科本科4年として中学部生徒をそのまま商業学校生徒として、学んだ時代でした。この海星商業時代卒の宮副吉彦氏【1910(明治43)年卒・6回生】が、海星に『ブラスバンド部』を誕生させたのが、1958(昭和33)年です。ちょうど旧中央館が誕生した年でした。

ついで昭和38年、大阪音大出身・角野文吉先生が着任し、その昭和38年ー昭和42年まで5年間と昭和45年には長崎県で優勝。県代表としてブラスバンド部は九州大会に出場しました。

昭和40年のNHK全国コンクール九州大会では3位入賞。さらに昭和46年ー昭和55年までの10年間と昭和59年は、アンサンブルコンテストで金賞を獲得しました。

その後、福田宏樹先生(宗教科)、平成19年に下村洸征先生(地歴公民科)へと顧問は代わりました。ちょうど、この頃海星は男女共学【2006(平成18)年】になりました。

現在は、田川先生(数学科)、福田かほり先生(英語科)が副顧問で部員の皆さんと日々練習に励んでいます。

学校行事では、常に先頭に立ち学園内を美しい音色で牽引してくれている吹奏楽部。

平成29年度・第70回生の彼らの活動が終わり、海星吹奏楽部の歴史ページがまた1枚厚くなりました。

学園創立125年目の吹奏楽部。

※史実は『海星百年史』より。写真は、平成29年度・吹奏楽部。